1901年の第1回 ノーベル物理学賞は、X線の発見に対して与えられました。授賞者はドイツの物理学者レントゲン博士。そう、まさしく「ドクターX線」ですなー。今回は、X線発見のインパクトについて、なーんと、125年遅れ、でお話ししちゃいますよー。

ノーベル賞は、日頃サイエンスにまったく無縁の人にも響く、マジックワードでございます。「あなた、仕事は?」「実は、科学研究やってまして」「へー、そのうちノーベル賞とれるかもしれないねw いまのうちにサインもらっとこ」ってなもんでございます。いや、私でさえ、親類縁者に何回これを言われたか…。

そういうことで、このどこでもサイエンスでも、何回かノーベル賞をいじってまいりました(参考:第9回第10回第35回第61回第87回)。ノーベル賞については、公式がすごーくわかりやすく子供向けのゲームまであるWeb(まあ英語ですけど)を作っていて、大変ありがたいし、書くのが楽(おい)というのはございますがねー。

さて、お話をもどして、ドクターX線でございます。X線の発見については、いろんなところに詳しくかいてあります(首相官邸のコレとか、ナショナルジオグラフィックスのコレとか)が、ようは、蛍光灯の元祖みたいなもの(理科室にあった陰極管)をいじくっていたら、なんかしらんが、それを覆ってもバリウムを蛍光させるなにかがでていて、さらに遮蔽物の厚みを変えると、写真の感光が変わり、さらに自分の奥さんの手を遮蔽物にすると、手を透かした写真が撮れちゃったのでございます。そう、元祖のレントゲン写真ですな。1895年の11月8日のことでございました。実験室に奥さん連れていたのね。ちなみに、実験室や元祖のレントゲン写真は、ノーベル財団のWebサイトでチェックできます。撮影レントゲン、あ、なんとなく感動的。

さて、このできごとはすごいセンセーショナルなことでございました。翌月にレントゲンは、この未知の放射線をX線と名付け、学会に報告しています。通常は、この手の報告は「ほんまかいなー」から始まるのですが、なにしろ決定的な写真があり、しかも実験は当時よく行われていた陰極管(クルックス管)の実験だったのですから、たちまちレントゲンの発見は確立したのでございますね。そして、レントゲンは時の人となり、ありとあらゆる名誉教授やら賞やらをもらうことになるのでございます。ノーベル賞もこの発見からわずか5年(というか、彼が最初なのでそれ以前はノーベル賞の受賞のしようがなかったんですが)。

さて、こういう発見があると「自分も、何か別の放射線が発見できるんじゃね?」ということになってまいります。二匹目のドジョウを探したんですな。かなりの人がチャレンジし、失敗も多かったようです。

が、1896年にはフランスのアンリ・ベクレルが、蛍光物質とX線の関係から、陰極管がなくても蛍光や燐光(夜光塗料みたいなやつですな)をする物質からX線がでるんじゃないか? と考えて実験をしてみました。はたせるかな、燐光をするウラン化合物を遮蔽しても、写真が感光したんですなー。これはX線とは異なる放射線なので、ウラン線と呼ばれるようになりました。ただ、レントゲン写真を撮るようなインパクトはなかったので、世間的にはそれほど注目はされなかったようです。

でも、物理学者のなかには、これに反応した人がいました。それが、フランスのキュリー夫妻です。彼らは微弱な電流を測る装置を駆使してウラン線の強さを詳細に測定し、2年後にはウラン線は、温度や圧力などの条件とは関係なく、ウランの量だけでその強さが決まるということを発見します。さらに、ウラン以外の物質、トリウムでも同様な現象を発見。さらに、未知の元素にもウラン線と同じ放射線が出るものを発見し、のちに彼らの出身地にちなんでポロニウムと名付けます。そして、放射能という考えを作り出すに至るんですなー。その後、さらにラジウムも発見します。

ベクレルとキュリー夫妻は、X線の発見をヒントにした一連の発見で、1903年に第3回のノーベル物理学賞を共同受賞することになります。ちなみに夫婦での受賞も、女性の受賞もこれが初めてでございます。さらにキュリー夫人は、もう一回ノーベル化学賞を受賞し、さらに娘夫婦もノーベル賞を受賞するというスーパー家族なのでございます。

ところで、ほぼ同じころ1897年には、J.J.トムソンが陰極管の実験で電子を発見します(まあ、彼以前に発見していた人がいたというのが最近の定説だそうですが)。さらに1898年には、トムソンの弟子のラザフォードが、放射性物質からでる放射線を詳しく検討し、α(アルファ)線、β(ベータ)線、γ(ガンマ)線に分類します。ちなみにX線とγ線は両方とも光と同じ電磁波でエネルギーが違う(γ線の方が高エネルギー)ものですな。J.J.トムソンは、1906年のノーベル物理学賞受賞者となり、ラザフォードもα線の正体がヘリウムの原子核であることなどの業績で1908年にノーベル化学賞を受賞しています。ちなみにJ.J.の息子のG.Pトムソンも電子の性質の研究でノーベル賞を受賞しています。

その後、なんとN線というのも発見されます。1905年にフランスのブロンローがX線発生と同様な実験の中で発見し、勤務先のナンシー大学のNをとって、N線と名付けます。これも実験手法が一般的だったので100もの追試論文がでることになるんでございます。ただ、これは「間違い」で、幻の発見ということになりました。

さて、X線の発見を皮切りに、わずか10年足らずで、さまざまな発見が連鎖したわけです。これだけじゃなくて、その後、原子核物理や量子物理というジャンルが生まれるのですが、まさにインパクトが強い大発見を、ドクターX線、レントゲンは引き出したわけですなー。さらに、のちに天体がX線を出していることがわかり、それを追及することで、ブラックホールなどが発見されています。2002年にはX線天文学を生んだジャコーニがノーベル物理学賞を受賞しています(日本の小田稔氏も候補だったのですが2001年に亡くなっていました)。

ところで、このドクターX線ですが、その後も物理学の研究は続けるものの、山登りにせいを出したりし、X線の研究もほぼやめちゃいます。また、ノーベル賞の賞金も寄付し、講演も嫌い(というかシャイでできない)そして、超有名な物理学者ではあったのですが、弟子を育てるでもなく、だったのですね。当人は控えめな人だったので、インパクト強く生きるのは苦手だったようです。

ただ、レントゲンのミュンヘン大学の同僚のラウエは1911年頃にX線回折という結晶を調べる画期的な研究をし、X線が光と同じ電磁波であることを発見して、1914年にノーベル物理学賞を受賞していますけれどね、これはレントゲンに指導されてではないです、まあ、レントゲンがX線を発見しなければ、そもそもX線の性質を知ろうとした彼の研究もなかったわけですが。

ところで、ドクターX線レントゲンには、専門の博物館があります。ドイツのドルトムントとケルンの間にあり、レントゲンの出身地、レムシャイド市のレネプという町にあるドイツレントゲン博物館です。Googleの評価も高いようですし、機会があったらちょいと行ってみたいですなー。

ドイツまではちょっとという方は、国産の一号のレントゲン装置が、京都市にある島津創業記念資料館にあります。市役所の近くの割と便利な場所にあり、なかなか渋い博物館ですが、サイエンスクラスタなら一度くらいは行ってもいいんじゃねという施設でございますよ。

著者プロフィール

東明六郎(しののめろくろう)
科学系キュレーター。
あっちの話題と、こっちの情報をくっつけて、おもしろくする業界の人。天文、宇宙系を主なフィールドとする。天文ニュースがあると、突然忙しくなり、生き生きする。年齢不詳で、アイドルのコンサートにも行くミーハーだが、まさかのあんな科学者とも知り合い。安く買える新書を愛し、一度本や資料を読むと、どこに何が書いてあったか覚えるのが特技。だが、細かい内容はその場で忘れる。